沿革

1974年

5月にシェル中子製造業である有限会社ユニオンパーツ工業(当時)からヤマハ株式会社様の仕事を引き受け分離独立して、ラッキーコール産業有限会社が産まれました。現在も株式会社ユニオンパーツ工業様とは同根の会社としてお付き合いしております。有限会社ユニオンパーツ工業(当時)の共同創業者である小池清三郎が就任しました。


1976年


 6月に寺島546に間渡工場新設


1980年


トヨタDOHC24バルブエンジン向けの中子製造開始。急成長の原動力になる。


1995年


HY戦争の影響を受け経営が悪化


2000年


人材派遣事業開始


2001年


TPM活動キックオフ

2003年


二代目社長 小池兼利が就任(小池清三郎の弟)


2005年


経営資源の整理、合理化が進み経営状況の回復に目途がたつ
人材派遣事業終了、一部が検査事業として構内請負に転換


2006年


中国人実習生の受け入れ開始


2007年


三代目社長 小池江幸(ひろゆき)が就任

 (小池清三郎の五男)


10/14 所製作所 750×500型水平割造型機導入(タッチパネルによる造型条件のIT化)

2008年


所製作所 800×600型垂直割造型機導入(バイスの駆動油圧化、金型温度制御の精密化)

9/21 所製作所 500×400型垂直割造型機導入(コンパクト化、段取り最適化、次世代標準化)
12/1 新規製品の立ち上げが20機種以上、生産体制の限界に挑戦、過去最大の単月売り上げ達成

2009年


2/1 社内内製改造した400×300東洋シェルマシン垂直割り造型機稼働

リーマンショックの影響で大幅な仕事量の減少を受け、
生き残りを賭けて、社内体制合理化、製造拠点等の集約化を実施

2010年


本部機能と生産管理機能を寺島564に統合

2015年


 検査事業が大島事業所から福田事業所へ移転
 

2016年


主要機種の生産終了、その他景気悪化に伴い、急激に生産量が低下

鋳造金型の整備事業発足

2017年


今後10年の生き残りを目指し、経営方針を制定する。
少子化が進み、人の職人技が必要な業務の重要性が今後より高まる見通しのなかで次の通りとした。
 
 「次世代の職人を育てる」


2018年


中郡町に600坪ほどの新しい工場用地を取得、倉庫スペースから始まり、後の金型整備事業、鋳造設備保温材補修事業の中心になる
鋳造金型の整備事業を拡大。LP金型のスタンバイ確認、冷却通路整備など開始。
9月 サンドブラスト機導入。

2019年


検査事業が福田事業所から袋井事業所へ移転
LP鋳造に使う中間ストークの補修事業開始

2020年


BYD社のリチウムイオン式の電動リフトを導入。

新規事業の拡大、中子需要の回復、中子新規機種立ち上がりなどで経営がようやく安定傾向になる。(新型コロナ禍に伴うアウトドアレジャーの需要上昇が一因)

2023年

中子事業のガス設備更新
メインクレーンの大規模入れ替え工事

2024年

中子事業のコンプレッサー更新、コンプレッサー室のレイアウト変更
作業指示の掲示をホワイトボードから大型ディスプレイによる表示に。


形骸化していたTPM活動を復活させるため、3Sの徹底をベースに社内活動再スタート。

2025年

Webサイト大幅更新